苦手・嫌いな人に対する向き合い方
職場・交友関係・近所付き合い・・・。いろいろな人間関係の中で、どうしても苦手と感じてしまう人がいるのではないでしょうか。そういった人から離れる最も有効な方法は、職場を辞める・引っ越すなど、物理的に関係を断ち切る方法です。でも、この方法はリスクが高すぎます。仕事を辞めなければいけませんし、引っ越すにもかなりの労力が必要ですから、簡単にはできません。
そうなると、現状の人間関係のまま、苦手な相手と向き合っていかなければいけません。物理的に関係を断ち切るのが難しい以上、あなたの心構えを変える必要があります。苦手な相手に対する向き合い方を工夫することで、少しは気持ちが楽になると思います。その方法について、具体的に3つ紹介します。
一つずつ解説していきます。
自分の「嫌い」という感情を認める
まず、自分が相手に対して「嫌い」という感情を持っていることを自覚しましょう。つい「苦手」というようなマイルドな表現を使ってしまいがちですが、本心では相手のことを嫌っているはずです。しっかり自分の声に耳を傾けましょう。
学校の道徳教育で「人のことを嫌いになってはいけません」と習ったと思います。そんな教えは何の役にも立ちませんので忘れましょう。それが足かせになって、あなた自信の感情を押し殺しているんだと思います。自分にひどいことをする相手を嫌いになるのは、当たり前の事です。「嫌いなヤツは嫌い」でいいんです。自分の本音に従いましょう。
「嫌いという事がばれたら相手からもっとひどいことをされるかもしれない」と思うかもしれません。でも、あなたが嫌いな相手は、他人から嫌われることに鈍感だからこそ、あなたにひどいことをするのです。あからさまな態度を出さない限り、こちらが嫌っているという感情がばれることはありません。
それに、嫌いな相手の事を、好きになるように自分に言い聞かせるのは地獄です。自分を騙そうとすれば、精神的にどんどんつらくなっていきます。
心の健康を取り戻すためにも、まずは自分が相手を嫌っているという事を自覚しましょう。まずはそこからです。
相手が自分にしたことを細分化して整理する
嫌いな相手に対して、「なんとなく嫌い」「なんとなく苦手」という感情を持っている場合が多いと思います。嫌うべき明確な理由があれば、相手のことを遠慮なく嫌いになれますが、なかなかそうはいきません。
世の中には、物語に出てくる「悪の大王」のような完全悪はいません。不良も、たまにはいいことをします。そういった光景を目の当たりにすると、「たまにはいいことするじゃないか」と感じます。普段の素行の悪さを許してしまいそうになります。むしろ、不良が少しでも良いことをしただけで、すごく評価されたりします。冷静にトータルで考えると「不良」であったとしても、「いい人かもしれない」と感じてしまったりするのです。そう、人は他人をいい加減にしか評価できないんです。
人は他人を、「なんとなく」で評価しています。それは、あなた自身が嫌いな相手を評価する際も同じです。嫌いな相手を心の底から憎めない理由として、「少しはいい部分があるし」と甘やかしてしまっているからだと思います。嫌いな相手の蛮行を許してしまって、嫌いになり切れていないのです。でも、嫌いな相手を甘やかすことは、あなたの心理的負担になります。我慢が積み重なると、あなたの心が壊れてしまいます。嫌いな相手から受けた仕打ちに苦しめられるのは本当に辛いです。やりきれないです。嫌いな相手を、憎むべき相手としてはっきりと認識できるようになった方がよっぽど健全です。
嫌いな相手をはっきりと「嫌い!」と認識できるようになるための方法を紹介します。それは、「相手が自分にしたことを細分化して評価する」ことです。よくわからないと思いますので、具体例を紹介します。僕は以前、職場の上司の事がなんとなく嫌いでした。その上司はどちらかと言えば真面目な人間で、たまにはいいことをするので、嫌いになることができずにいました。でも、「相手が自分にしたことを細分化して評価する」ことで、心置きなく嫌いになってスッキリすることができました。実際に僕がやった方法を紹介します。
まず、相手が自分にしたことを書き出します。良いエピソードも悪いエピソードも、どちらも書きましょう。
それぞれの内容の詳細を書いていきます。
不手際を指摘した際の逆ギレ
職場でのミーティングの時、上司が「来週の水曜日に面談を行います」と言いました。その後、上司から「来週の火曜日の面談は、○○時に行います」というメールが送られてきました。
「面談は火曜日?水曜日?どっちだろうか?」と思ったので、面談の日を上司に確認しました。すると、「ミーティングの時に『水曜日に面談をやる』って言ったんだから、水曜日だ!考えればわかるだろ!」とキレられました。いや、わかりませんけど?(^^;) と思いました。
失態に関する開き直り
会社が主催するイベントのお客様への案内は、上司がやることになっていました。案内のタイミングが開催ギリギリになってしまい、お客様から「こんな直前に案内されても困る。もう予定が入ってるから参加できない!」と怒りの連絡がきました。お怒りになっているお客様をなんとかなだめ、「まぁ次からは早めの案内を頼むよ」と言われました。そのやりとりを上司に伝えたら、「客先からそういうクレームが入るのはわかっていた。だからお前は何も余計なことを言ってくるな」という態度をとられました。反省するどころか開き直っていました。なんだこの人?(^^;) と思いました。
タクシー利用についてのマウント発言
上司と一緒に、お客様に訪問することになりました。会社から2km弱で、そこまで遠くない距離でした。僕1人で行く場合は、その客先にはいつも歩いて行ってました。ですが、その日は真夏の30℃オーバーの暑い日で、歩いて行くとなると、30分ぐらいずっと日光にさらされることになります。こんな過酷な環境を歩くとなると、上司から何を言われるかわかりません。
会社のルール上、タクシーを使用してもいい条件でした。なので、「タクシーで行きますか?歩いて行きますか?」と上司に相談したところ、「は?その距離でタクシーを使うのはあり得ないから」と言われました。その後、「こんな短い距離でタクシーに乗ろうとするなんて浅ましい」とか「もっとよく考えろとか、客先に行く道中でいろいろ言われました。考えた結果の行動なんだが?(^^;) と思いました。
お茶を買ってくれた
上司と出張に行った時に、コンビニでお茶を買ってもらった事があります。500mLぐらいのペットボトルの伊右衛門です。その日は暑い日だったので、とても助かりました。ありがてぇ!と思いました。
上司が自分にしたことを細分化して評価した
以上は一例ですが、上司から様々なひどい仕打ちを受けました。以前は「まぁ伊右衛門買ってくれたしなぁ(^^;)」と割り切って、彼の事を嫌いになりきれずにいました。
ですが、上司からされた事を書き出したところ、「伊右衛門1本だけで彼の罪をチャラにすることは絶対にできない」と思いました。いや、確かに伊右衛門をおごってもらった事実はありますが、それを考慮しても、トータルで考えたら到底、割に合わない仕打ちを受けていたことが判明しました。その事に気づいてから、僕はクソ上司を心置きなく嫌いになることができました。
「ひとのことを嫌いになるのはよくない」と思っていた時期が僕にはありました。ですが今では、された事をトータルで考えて、その罪を弁護しきれないような相手は嫌いになるべきだと思います。その方が自分の心を健全に保てます。何より、ろくでもない人間のせいで心が病んでしまうのは馬鹿らしいと思いますし、自分の人生がもったいないじゃないですか。嫌いなヤツを嫌いになっていいんです。
相手にされた事を細分化して整理することで、心が健康になる
相手にされたことを細分化して整理することで、モヤモヤした感情が整理できてスッキリします。「少しはいいところあるし、嫌いになってはいけない」という義務感は、自分を追い込みます。相手にされたことを箇条書きにして、整理してみてください。相手のことを、冷静になって客観的に評価することができます。トータルで考えて、自分に大きな被害を与えてきた相手を、心置きなく嫌いになることができます。
ろくでもない人間の善行に対しても、「それはそれ!これはこれ!」と割り切って評価するとができるようになります。「少しはいいところはあるな(基本的には大嫌いだけど)」と、自分の感情と切り離して相手を冷静に評価することができるようにもなります。
結果的に、自分の心が健康になっていくことでしょう。
神から与えられた試練だと考える(上級者向け)
嫌いな相手に対する考え方は、基本的には以上に挙げた方法でOKです。ここからは、上級者向けというか、超ポジティブなやり方になります。ある種、イッちゃってるやり方なので、あくまで参考ということで(笑) それは、「これは神から与えられた試練だと考える」という方法です。
嫌いな相手がやっている発言・態度・行動は、常識的に考えてあり得ません。人を思いやる心があるのであれば、あんな非常識なことをできるはずがありません。そう、自らの意志がある「人間」であるならば、あんな嫌なヤツのはずがないんです。
上の例で挙げたクソ上司も、本当に嫌なヤツです。「なんでそんなひどい言い方ができるのか?」「いったい何を考えれば、あんなひどいことができるのか?」本当に悩んでいました。でも結局、嫌なヤツの考えなんて理解できませんでした。飛躍した考え方ですが、「人の心があるのなら、あんなひどいことはできない。彼らは人間ではない。彼らは神に操られている人形だ。そしてこれは、僕が神から与えられた試練なんだ。」と考えるようにしました。
神の操り人形であるクソ上司を通して、神から発信されているメッセージはこうです。「お前はこんなところでくすぶっている器じゃない!ここから離れて、さっさと別の場所に行って活躍するんだ!今、そのための試練を与えている!」神が伝えたいのはこういうことなんだと考えるようにしました。完全にイッちゃってる考え方ですが、こうしなければやってられなかったというのもあります(笑)
そして僕はその後、部署異動希望を出すという行動をとりました。自分にとって健全な行動に移すことができたのです。
この方法の利点は、嫌いな相手は神様が用意した残念な悪役なのだと認識することで、彼らをまともな人間として見なくなれることです。ひどいことを言われても、「神に操られた人形がなんか言ってるなぁ」と割り切れるので、ダメージを抑えることができます。そして、神の試練として受け入れることで、健全な解決策を実行することができるようになります。実際に、僕もその職場から離れるという行動をとることができました。
まとめ
この記事では、苦手な相手との向き合い方について解説しました。
まず、自分が相手に対して「嫌い」という感情を持っていることを自覚しましょう。まずはそこからです。自分にひどいことをする相手を嫌いになるのは当たり前です。「嫌いなヤツは嫌い」でいいんです。嫌いな相手を「少しはいい部分があるし・・・」と甘やかしてはいけません。それはあなたの心理的負担になります。我慢が積み重なると、あなたの心はいずれ壊れてしまいます。嫌いな相手を、憎むべき相手としてはっきりと認識できるようになった方がよっぽど健全です。
嫌いな相手が自分にしたことを細分化して整理してみましょう。相手にされたことを箇条書きにして、整理してみるといいでしょう。相手のことを、冷静になって客観的に評価することができます。トータルで考えて、自分に大きな被害を与えてきた相手であれば、心置きなく嫌いになることができます。
最後に、これはイッちゃってるやり方ですが、「神から与えられた試練だ」と考えるようにするのもおすすめです。嫌いな相手がやっている発言・態度・行動は、人としてあり得ません。人であるならば、あんな嫌なヤツのはずがありません。彼らは神に操られている人形です。そしてこれは、あなたが神から与えられた試練だと考えましょう。嫌いな相手は神が用意した残念な悪役なのだと認識することで、彼らをまともな人間として見なくなれます。ドライに接することができるようになり、ひどいことを言われても、「神に操られた人形がなんか言ってるなぁ」と割り切れるので、ダメージを抑えることができます。神の試練として受け入れることで、健全な解決策を実行することができるようにもなっていくことでしょう。
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