悪口を言ってしまうのは本能
悪口を言ってしまうのは、本能によるものだと思います。
生きていくためには、他人とうまくやっていく能力が必要となります。大昔は「孤立=死」という厳しい時代でしたから、安全に生きていくためには集団の中でうまくやる能力が必要であり、それが私たちには本能として備わっているわけです。
悪口は集団の中で生きていくために必要な手段の一つです。「あいつはろくでもないやつだ」と悪口を言って、仲間に有益なリスク情報(身近に危険な存在がいる)を知らせることで、集団の中で一目置かれるようになる、といったところでしょうか。
悪口を言うと脳から快楽ホルモンが出ます。おいしいものを食べると幸福感を得られますよね?それと同じです。食事をすると、「よく餓死を防いでくれた。1万ポイントあげちゃう!」というような感じで、脳から快楽ホルモンが分泌されます。私たちがカロリーの高いもの・甘いものをつい食べてしまうのは、快楽ホルモンほしさによるものです。
悪口も同じで、「よっしゃよっしゃ、悪口を言って集団の中で一目置かれたな、1万ポイントや!」といった感じで快楽ホルモンが得られます。そして、快楽ホルモンほしさに悪口を言う、という悪循環に陥って抜け出せなくなっていくのです。
悪口のメリット・デメリット
悪口のメリットは、快楽ホルモンが得られることです。その中毒性は半端なく、1度ハマってしまうと抜け出せなくなります。そして、悪口好きな人間は一定数いて、そういった人たちが寄ってきます。見かけ上の仲間の数が増えるのもメリットと言えます。
また、愚痴を吐き出すことはストレス解消になりますので、自分の精神状態をまともに保つ上では必要な行為です。
ですが、悪口を言うのはメリット以上にデメリットが大きいです。僕は恥ずかしながら、他人の悪口ばかり言っていた時期があります。その頃を振り返って悪口のデメリットを書きます。
他人の粗探しばかりするようになる
悪口にハマってしまうと、常に悪口を言うためのネタ探しをするようになります。恐ろしいことに、無意識に他人の粗探しばかりするようになってしまうのです。完全に嫌なヤツですね(^^;)
まともな人が遠ざかっていきますので、これは大きなデメリットと言えるでしょう。
周囲の人間の質が下がる
悪口を言うことで、まともな人が近寄ってこなくなる一方、悪口・陰口ばかりを言う人間が寄ってきます。「類は友を呼ぶ」というヤツです。そして気がつけば、悪口ばかりを言う集団のできあがりです。とても健全な仲間とは言えません。
勘違いヤロウになる
悪口はその不謹慎さから、ブラックジョークのような感じで、聞いた人を比較的簡単に笑わせる(ウケさせる)ことができます。簡単に笑いをとれるので、悪口に頼った会話をすることで、人とのコミュニケーションがうまくなったと勘違いするようになります。「オレのコミュ力、最強!」という勘違いヤロウが誕生します。しかし実際は、悪口以外の会話のバリエーションがないので、コミュニケーション能力は著しく低いです。
人とのコミュニケーションは簡単ではありません。会話というコミュニケーションの本質は、もっと深いところにあります。相手の価値観を知ったり、自分の価値観を伝えたり、相手を楽しませたり、意見が食い違う場合は折り合いをつけたり・・・。他人と深く関わるための手段が会話であると僕は考えます。
他人の粗探しばかりして、悪口ばかりを言う集団に所属すると、薄っぺらい人間関係しか築けなくなります。人と深くつながることができなくなってしまうのです。
本音で話せる大切な人を失う、もしくはそのような人と今後出会えなくなるなってしまうので、非常にもったいないです。
悪口とのつき合い方
以上より、悪口には大きなデメリットがあると言えます。
では、悪口を一切言わずに生きていくしかないのでしょうか?いや、人である以上、悪口を言わずに生きていくのはムリです。たまには吐き出さないと、ストレスがたまって心が病んでしまいます。
そこで、悪口との健全な付き合い方を僕なりに考えました。
一つずつ解説していきます。
承認欲求を目的とする悪口を言わない
自分を傷つけた相手に対する悪口を言うのはいいと思います。例えば、パワハラ上司の暴君ぶりや、いじめ加害者の凶悪さなどへの悪口はOKです。自分を傷つけた相手は裁かれるべきであり、悪口で叩いて構いません。
一方、承認欲求を目的とする悪口は言わないほうがいいです。集団の中で一目置かれたいというのが承認欲求で、快楽ホルモンほしさに言ってしまう悪口はこのパターンです。自分のことを傷つけたわけではない人に関する、「あの人は見た目が悪い(ブサイク)」というような類の悪口です。
これをやってしまうと、他人の粗探しばかりするようになり、周囲の人間の質も下がります。自分の心が不健全になっていくのでやめておきましょう。
承認欲求を目的とする悪口を言わないだけで、まともな人が集まってくるようになります。続けることで、健全な人間関係を築いていけることでしょう。
悪口日記をつける
手間はかかりますが、悪口日記をつけるのは有効です。悪口と理想的なつき合い方ができるようになります。悪口を他人に漏らすことなく日記に吐き出す、という理想的なやり方です。
方法は簡単です。ノートを1冊用意して、他人への悪口を1ページにまるまる書く、というだけです。ノートの大きさは、B5程度がいいでしょう。そして、そのノートは絶対に他人に見せないと決めます。
体裁などは一切気にせず、思ったままのことを書くといいでしょう。日記にすべて吐き出すのです。いくらひどい言葉を使っても構いません。他人に見せるものではないので、遠慮はいりません。
はじめのうちは抵抗があって、「1ページも書けるかな?」と思いますが、慣れてくるとすらすら書けるようになります。
解き放たれた自分はとても饒舌で、驚くほどよくしゃべります。「まさかこんなにため込んでいたなんて…」と自分でも引いてしまうぐらい書けてしまうことでしょう。
悪口日記の利点は、他人の目を気にしなくていいことです。いくら自分に対してひどいことをした相手であっても、その人間の悪口を、他人の前でボロクソに言うのは難しいです。特に、あなたが優しい人ならなおさらです。悪口日記ではそういった配慮は必要ありません。日記の中で思いっきり叩きのめしてやりましょう。書きすぎるぐらいがちょうどいいです。
書き終わったら、とってもスッキリしますよ。
まとめ
この記事では、悪口とのうまいつき合い方について解説しました。
悪口を言ってしまうのは人としての本能です。油断すると、快楽ホルモンほしさに悪口を多用するという悪循環に陥って抜け出せなくなってしまいます。
ですが、悪口を言うデメリットは計り知れません。他人の粗探しばかりするようになって、悪口でしかコミュニケーションをとれなくなり、薄っぺらい人間関係しか築けなくなります。人と深くつながることができなくなってしまって、本音で話せる大切な人を失ったり、そのような人と出会えなくなってしまいます。
承認欲求を目的とする悪口を言わないようにするだけで、まともな人が集まってくるようになります。続けることで、健全な人間関係を築いていけることでしょう。
また、悪口日記をつけることで、悪口を他人に漏らすことなく、ストレスを吐き出すことができます。驚くほどスッキリしますよ。
日常の心がけで少しずつ、人生を変えていきましょう。
小さな積み重ねはいずれ、大きな変化を生み出します。ムリせず続けていきましょう!
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