いじめの被害者が少しでも楽に生きるための方法

楽に生きる 仕事

いじめられるのは、本当につらいことです。いじめられている期間は地獄のようなつらさがあり、さらに、過去のいじめがトラウマになって、今の自分に悪影響を及ぼしている人も多いことでしょう。また、過去にいじめられた経験のある人は、大人になってからもいじめのターゲットにされやすい傾向にある思います。この記事では、過去のいじめがトラウマになっている人や、大人になってからもいじめられている人が、少しでも楽に生きることができるようになるための方法を解説します。

いじめは被害者にとっては地獄

いじめにはいろいろな種類があります。殴る蹴るの暴行、悪口や暴言、集団での無視、複数人の前で恥をかかせる、最近ではSNSでの誹謗中傷もあります。

被害者はいじめられている期間、地獄のようなつらさを味わいます。いじめは、自殺する人が出るほどに深刻な問題で、被害者を精神的にボロボロにする「心の殺人」なのです。

さらに、いじめの期間が終了しても、被害者には地獄が待っています。いじめられた経験がトラウマになって鬱になったり、対人恐怖症になったり、別のいじめのターゲットにされてしまったりと、その後の人生にも大きな悪影響が出ます。

また、「憎まれっ子世にはばかる」という言葉のとおり、いじめた側の人間は大した罰も受けず、しゃあしゃあと生きていくことが多いです。加害者は「ふざけただけ」「いじっただけ」などと言って逃れ、自分が犯した罪とは向き合おうとしません。そんなことはいじめの被害者にとって納得できるはずはなく、到底許されることではありません。

いじめは被害者にとって、百害あって一利なしです。

いじめの被害者は見えないハンデを背負っている

いじめられた経験が精神的な足かせになって、その悪影響に苦しんでいる人も多いことでしょう。生きているだけでつらく、精一杯かもしれません。

いじめを受けた人は、見た目の上では健常者と区別がつきません。周囲からは良くも悪くも、普通の人と同じように扱われ、同じように期待され、ミスをすると叱責されます。そのミスの根本的な原因が、過去のいじめのトラウマによるものだったとしてもです。具体的には、人前で緊張してうまく話せない、不安で熟睡できないので仕事のパフォーマンスが低下する、などです。

いじめの被害者は大きなハンデを背負っており、健常者と同等のパフォーマンスを発揮するのが難しい場合が多々あります。ですがそのハンデは、骨折時のギブスや身体的障害などと違って、目に見えません。ですので、周囲からの理解を得られず健常者と同じように叱責されます。

そして、狡猾な人間はその隙をついてきます。例えば、緊張してうまく発表できなかったときに、「さっきの発表、緊張しすぎでしょ。顔が真っ赤になってリンゴみたいだったな」などと言って新たないじめを発生させます。過去にいじめられた人は、このようにして別のいじめのターゲットになってしまうのです。

周囲から支援を得られるどころか、さらにいじめられる可能性が高いというのが、いじめ被害者のつらいところです。

いじめの被害者が少しでも楽に生きるための方法

過去のいじめがトラウマになって今でも苦しんでいる人や、大人になってからもいじめられている人が、少しでも楽に生きるための方法を解説します。

少しでも楽に生きられるようになる方法
  • ハンデを背負っても生きている自分を褒める
  • 「いじる」は「甘える」と同義であると認識する
  • 自虐ネタを言わない
  • 怒りを自分の力に変える
  • 数の力との勝負は避ける
  • いじめの加害者はいずれ淘汰されると考える

一つずつ解説していきます。

ハンデを背負っても生きている自分を褒める

いじめを経験したあなたは、生きているだけで立派です。死ぬほどつらい経験をし谷も関わらず、ちゃんと生きている自分を、まずは褒めてあげてください。

いじめられている時には、理不尽な仕打ちに耐えるという孤独な戦いを強いられます。そして、それに耐えたからといって、ご褒美がもらえるわけではありません。さらに、新たないじめのターゲットになる可能性も高いわけです。

これは普通の人間にはとても耐えられることではありません。そんなつらい経験をしても生きているというのは、本当に褒められるべき事です。あなた自身が、あなたの一番の理解者になり、自分を褒めてあげてください。

ですが、謙虚なあなたは「自分はそんな褒められるべき人間ではない」と謙遜するかもしれません。周囲の人間と比較して、自分の優れた部分を見出すことが難しいかも知れません。しかしそれは、いじめという、人の尊厳をないがしろにする所業によって、自信を失っているだけです。

こう考えてください。あなたがやっている競技は、周りの人間と違うのだと。人生が順風満帆な人は、単純な100メートル走をしています。100メートルを全力で走れます。一方、いじめの被害者であるあなたは、100メートルの障害物競走をやっているのです。走っている最中に、様々な妨害を受けているのです。

あなたは人生というレースで、周囲に比べてタイムが遅いと感じるかも知れません。ですがそれは必然です。人生の行く手を阻む厄介ごとの数が、周囲とは大きく違うのです。不利な条件でレースを走っており、競技の内容が全く違うのですから、タイムが違ってきて当然です。もし周りの人と比較して、絶望しそうになったらこのことを思い出してください。

障害物競争をそれなりのタイムで走っているだけで立派なのです。

「いじる」は「甘える」と同義であると認識する

いじめの加害者は「いじる」という言葉をよく使います。「俺は人をいじるのがうまい」とか「いじられキャラのくせに生意気だな」というような使い方をします。

この場合の「いじる」という言葉の本質は「甘える」と同じであると僕は思います。いじる=甘える、いじられる=甘えられると同義です。そう置き換えるとしっくりきませんか?

いじめの加害者は、人に甘えたいという感情をひた隠しにして、ついつい「いじる」という表現を使って人に甘えているのです。

いじめの加害者本人は決して認めないでしょうが、彼らは甘えん坊と同じです。いじめの被害者に甘えているのです。甘えられる被害者としてはたまったものではありませんが。

「この人間は甘えん坊だと思われるのが嫌で、『いじる』という表現を使っているんだな」と考えるようにするといいでしょう。そんな人間を甘やかしてやる必要はありません。

自虐ネタを言わない

いじめの被害者は、自虐ネタを言う傾向があると思います。

自虐ネタを言う心理として、サービス精神がある証拠です。周りに楽しんでもらおうとする精神は立派です。

しかし残念なことに、いじめの加害者は自虐ネタが大好きです。彼らは自分の自虐ネタを言うのではなく、他人に自虐ネタを言わせて楽しみます。いじめ加害者はずる賢く、マウントをとれる対象を見つけるのが本当にうまいです。いじめ加害者に自虐ネタを披露しようものなら、「自虐ネタを言う人=マウントをとれる対象」と認識し、いじり(甘え)の対象にします

自虐ネタは、うまく使えば人を楽しませる手段になり得ますが、いじめの加害者に甘えられる可能性のある両刃の剣です。

自虐ネタを言うのは極力やめるようにして、心の許せる友達のみに披露するようにしましょう。

怒りを自分の力に変える

いじめられる経験は言うまでもなく、とてもつらくて、悲しみの感情がわいてくることでしょう。そして悲しみの他に、怒りの感情が生じることもあるでしょう。加害者を許せない、そんな感情です。しかし、人や物に感情をぶつけることができず、気持ちを抑え込んでモヤモヤすることも多いでしょう。

でも、その怒りの感情を抑え込むのはもったいないです。ではどうするか。その怒りは、自分の筋繊維にぶつけるといいでしょう。筋繊維を破壊して、再生し、自分の力に変えるのです。そう、筋トレや運動をしようということです(強引)。

運動するとスッキリしてストレス解消になりますし、何より、筋肉がつくといじめられる可能性が減ります。脳筋で言っているわけではなく(笑)、ちゃんと理由がありますので解説します。

いじめの加害者は、人を選んでいじめを行います。彼らは言うまでもなく卑怯者なので、自分より弱い立場の人間をターゲットにします。自分より力が弱かったり、言い返してこなかったり、そういった人をターゲットにします。正々堂々なんて考えていません。自分に都合のいいサンドバッグを探しているだけです。

筋トレをすると、「テストステロン」というホルモンが出ます。テストステロンは、筋肉増強の作用の他、好戦的な性格にする作用があると言われています。好戦的になるなんて恐ろしい、と思うかもしれませんが、いじめの被害者になる人の性格は優しすぎるのです。その甘さにつけ込まれ、いじめの加害者は甘えてくるのです。要は、「やってもやり返してこない」と認識されると、いじめ加害者になめられてしまい、被害に遭います。人の心に土足で入ってくる強盗のような輩(いじめ加害者)には、「やり過ぎたらやり返すぞ」という無言の圧力が必要です。この圧力が「あ、この人をいじめたらダメだ」という抑止力になります。

具体的には言えませんが、筋トレをしてテストステロンが出ている人は、行動の端々にその圧力が出ています(少しスピチュアルな感じですが(^^;))。テストステロンの筋肉増強効果で力をつけ、無言の圧力を抑止力にすることで、いじめられる可能性を下げることができるのです。

数の力との勝負は避ける

いじめの加害者は、数の力を味方につけるのが得意です。いじめの被害者に対し、巧妙に「1対多数」の構図をつくり出します。当たり前ですが1対多数の戦いは、分が悪いです。

いじめ加害者のような性格の人間がキーマンになっている集団との接触は、極力避けるようにしましょう。そういった集団は、常にいじめる対象を探しています。関わってもろくなことにはなりません。こういう人間って、他にやることはないのでしょうか(^^;)

そのような集団と、仕事や交友関係で関わらざるを得ない場合もあるかと思いますが、接触は必要最小限にしましょう。同じ空間にいる時間を可能な限り減らす工夫をするといいでしょう。そうすることで、被害を最小限に抑えることができます。

いじめの加害者はいずれ淘汰されると考える

いじめの加害者は、他者を傷つけて陥れ、他者から奪い、似たような感性の人間と戯れます。そんな人間は、いずれ自然淘汰されます。

上にも書きましたが、数の力は偉大です。いじめ加害者のようなどうしようもない人間は、人類の中では少数派です。そんな井の中の蛙は、大海に出たところで生き延びることはできないでしょう。いずれ周囲から疎まれて何かしらの社会的制裁を受けることでしょう。

僕の所属する会社に、ろくでもない人間がいました。その人間は、僕の所属するセクションの人事部門のトップでした。酒の席で「お前は大した成果を上げていないから昇進させるのに苦労した。そんなヤツを昇進させてやった俺に感謝しろ」と僕に対して言ってきました。また、仕事中に、彼の部下(彼のお気に入りの女子社員)が作成した資料に不備があったのでそれを指摘しに行ったら「そんなことをいちいち○○(お気に入り)に言いに来なくてもいいだろ、自分で考えろ(完全にお気に入りへのアピールです)」と言ってきました。要は、絵に描いたようなクズ人間です。

そんな彼は突然、降格処分を受け左遷されました。噂というのはすぐに広がるもので、どうやらセクハラで訴えられたようです。会社の人の反応は、「ざまぁみやがれ」とか「セクハラで裁かれるなんてダサいよね」というようなものでした。人間としてどうしようもない存在なので、権力がなくなった彼は、おそらく左遷先でも疎まれることでしょう。

以上は、いじめ加害者のようなろくでもない人間は、いずれ淘汰されるという実体験です。

しかし、実際のところいじめ加害者は、大した罰も受けず、しゃあしゃあと生きていくことが多いことでしょう。ですが、これは個人的見解ですが、いじめ加害者のような人間はろくな最期を迎えないと考えます。僕自身の願望が少し入ってはいますが(笑)、このような考えをするには根拠があります。

僕は、自分が大切にしている人々に看取られて最期を迎えるのが最高の人生だと考えます。人生の「終わりよければ全てよし」です。モノ・愛情・知恵など、いろんなことを他人に与えるように生きた人のみがこういった幸せな最期を迎えることができると思うのです。

一方、いじめの加害者は、他人を傷つけても平気な人間です。他人に与えるのとは真逆で、自分の欲望のために他人から奪うような人間です。残念ながら、彼らが幸せな最期を迎えるのは難しいでしょう。

あなたが手を下さずとも、勝手に滅びます。いずれ自然淘汰されると考えるようにしましょう。

まとめ

今回の記事では、いじめを経験した人が、少しでも楽に生きることができるようになるための方法を解説しました。

少しでも楽に生きられるようになる方法
  • 目に見えない大きなハンデを背負っても生きている自分を褒める
  • いじめ加害者は、いじっているのではなく甘えている
  • 自虐ネタを言わない
  • 怒りを自分の力に変える(筋トレや運動をする)
  • 数の力との勝負は避ける
  • いじめの加害者はいずれ淘汰されると考える

いじめの被害者が幸せに生きるための助けになれば幸いです。

少しずつですが、日常をより良く変えていきましょう!

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