「人からどう思われるか」だけを考えて生きていた
僕は以前、「人からどう思われるか」だけを考えて生きていました。
髪を切る時は「無難な髪型にしてください」と注文し、服を買うときも友人や店員さんに選んでもらっていました。「人からよく思われたい」というよりも、どちらかというと「悪目立ちしたくない」「馬鹿にされたくない」という考えが強かったです。
仲間と食事に行った際は、「このメニューを選んだらみんなにどう思われるだろうか。嫌われないだろうか。」と本気で考えたこともあります。
また、仕事で上司に怒られる事を過度に警戒していました。何かで怒られた際に、「ところでなんだその派手な服装は!」とついでに怒られないために、無地で地味な色の服装(スーツやシャツ)しか着なかった時期もあります。
かなり深刻な症状でした(^^;)
謎の罪悪感に支配されている
他人からの評価を気にして行動するのは、当たり前のことです。人の目があるから、ルールを守れるし、大人としての立ち振る舞いができますから、その上で人間の社会が成り立っています。
ですが、必要以上に他人からの評価を気にするのはよくありません。他人の目を気にして、自分の意思を尊重できていない状態です。他人からの評価に怯えて生きる人生は楽しくありません。どんどん生きるのがつらくなっていきます。ひどい場合には、「生きていてごめんなさい」という謎の罪悪感に、常に支配されている状態になります。
では、人の顔色ばかりを気にしてしまう原因は何なのでしょうか?それは2つあると思います。
過去・現在の人間関係が原因だと考えます。一つずつ解説していきます。
仲間はずれにされないように必死だった過去の経験
まず、過去の人間関係についてです。理不尽な仕打ちを受けて、罪悪感をすり込まれた経験によって、人の顔色ばかりを気にするようになってしまいます。
僕は子どもの頃、父親に飼い犬の散歩を命じられた時に、首輪を取り付けるのに失敗して、犬を家の外に逃がしてしまったことがあります。その件で、父親に殴られました。とても痛かったです(^^;) 犬を飼っていたのは父親の趣味なのですが、本来父親がやるべき犬の散歩を僕が手伝ってあげた形になります。確かにミスを犯したのは僕ですが、善意でやった上での失敗です。それなのに殴られました。父親の虫の居所が悪かったのでしょう。今から考えても、殴られる必要はなかったと思います。でも、そんな理不尽な仕打ちを受けても我慢しました。父親に逆らうことは、子どもだった僕にとって恐怖でした。それに、家族の輪から外されてしまうと、子どもは生きていけませんから、耐えるしかなかったのです。
また、僕は極度のあがり症だったのですが、学生の時に発表した際に、クラスメートから「顔が真っ赤になってるよ」とみんなの前で指摘された事がありました。さらに顔が赤くなり、笑いものになりました。本当に恥ずかしかったです。こういった仕打ちに対しても、ヘラヘラ笑って対応しました。クラスメートから仲間はずれにされたくはなかったから、迎合せざるを得なかったのです。
これらの経験だけではありません。「仲間はずれにされるかもしれない」という危機感を何度も経験することで、人の顔色ばかりを気にするようになってしまったんだな、と今では思います。
人間は、仲間はずれにされる事に対して、想像以上のストレスを感じる生き物です。仲間はずれにされないために必死になります。
悪いことをしていなくても、仲間はずれにされる事があります。特に、弱い存在である子どもにとって、仲間はずれにされるのは地獄の苦しみです。子どもは、ひとりでは生きていけませんから。その苦しさから解放されるため、再び仲間に入れてもらうのが最優先事項となります。そのために、仲間はずれにされた理由を納得しないまま理不尽な仕打ちを受け入れ、「自分が悪いことをしたんだ」という背負わなくていい罪悪感を抱くのです。
なぜ自分がそのような仕打ちを受けるのか理解できずに抱く「謎の罪悪感」は、決して健全なものではありません。裁かれるべき罪を犯したのであれば償って当然ですが、冤罪で裁かれるのはあってはならないことです。ですが、子どもは仲間はずれにされないために、冤罪を受け入れざるを得ないのです。その罪を受け入れなければ、地獄が待っているのですから。
謎の罪悪感を突き詰めていくと、「生きていてごめんなさい」という感情になります。悪いことをしていないのに裁かれているわけですから、「自分の存在そのものが罪だ」という結論に至るのです。自分を無理やり納得させるための結論です。
仲間はずれにされないように必死だった過去の経験がトラウマとなって、人の顔色ばかりを気にするようになっていきます。
現在の人間関係の中に、機嫌をとらなければいけない人間がいる
次は、現在の人間関係についてです。
人の顔色ばかりを気にして生きてきた人は、大人になっても人の顔色を気にします。そして、他人の不機嫌に対して敏感になります。「この人が不機嫌なのは自分のせいじゃないのか?」と考えてしまうからです。それほどまでに、過去の理不尽な仕打ちによって、冤罪を受け入れた経験は根が深いのです。
人の顔色を気にする人にとって、機嫌をとらなければいけない人間と接するのは非常に疲れます。他人の機嫌は自分の力ではどうすることもできません。それでも、彼らの気分が良くなるように(もしくは気分を害さないように)行動してしまうのです。こんなことを繰り返していたら、そりゃあ疲れますよね(^^;)
僕は、感情の起伏が激しくてすぐ怒る人間や、常にムスッとした顔をしている人間の存在を、つい気にしてしまいます。決して好意的な感情を持っているのではなく(笑)、彼らが自分に不利益を与えてくるかもしれないと本能的に感じて警戒しているのでしょう。その延長線として、人の顔色ばかりを気にしている人の気持ちはすごくよくわかります。僕も以前はそうでしたから。
ソロ活で自信を取り戻そう
善意でやったのに怒られた。一生懸命やっても笑われた。そして、生きていくためには、ひどい仕打ちをする人間たちに溶け込む必要があった。ひとりになるのは地獄の苦しみだから、怒られても、馬鹿にされても、その輪に入る必要があった。周囲の人間の顔色をうかがって、迎合するしかなかった。
そんな地獄のような経験をすれば、誰でも心が折れます。それを乗り越えて、今 生きているだけでもあなたは立派です。
でもこのままでは、これからの人生も、人の顔色を気にして、厄介な人間に気を使い続ける人生になってしまいます。そんな人生、まっぴらごめんですよね。
人の顔色ばかりを気にして人生に疲れてしまったあなたに、僕は「ソロ活」(=ひとりでの活動)をおすすめします。
ソロ活のメリット・デメリット
今回おすすめするソロ活(=ひとりでの活動)は、「完全に人との関係を断ち切って自給自足の生活をしましょう」というような極端なものではありません。誰とも関わらず、誰にも頼らず生きていくのは不可能ですから(^^;) ひとりで過ごす充実した時間を経験することで、人の顔色ばかりを気にする自分から脱却することが目標です。
ソロ活は、自信をつけるための最強の方法だと僕は思います。誰の許可をとる必要もなく、自分の意思で行動して、いろいろな事を経験できます。自分が何を楽しいと感じて、何をおいしいと感じるのか、自分自身が何者かがわかるようになります。そして、あなたの行動に対して、あーだこーだ言ってくる厄介な人間も存在しません。もちろん、他人の機嫌をとる必要もありません。ソロ活を続けることで、謎の罪悪感が薄れていきます。ソロ活を数ヶ月、1年と続けるうちに、どんどん自信がついていきます。
気がつけば、人の顔色を気にすることも少なくなっていくことでしょう。たとえ気を使うべき厄介な人間がいたとしても、「なんか今日不機嫌だなー」と客観的に感じる事ができるようになり、「極力こんな人間と関わるのはやめよう」と健全な考え方をできるようになります。
自信をつけるための最強の手段のソロ活ですが、デメリットがあります。それは、「ひとりで行動する不安を克服するのがたいへん」というものです。もしかするとあなたは、「ひとりで行動して馬鹿にされないだろうか?」「ひとりで楽しんでいいんだろうか?」「何をしていいのかわからない」というような不安を感じるかもしれません。漠然とした大きな不安を感じるのは非常によくわかります。ひとりで行動するのはある種の地獄かもしれません。ですが、現状維持の人の顔色ばかりを気にする人生は地獄確定です。だったら、将来的に少しでも報われる可能性が高い方の地獄に進むべきだと思います。
具体的なソロ活
具体的にソロ活って何をするの?と思うことでしょう。結論、何でも良いです(笑) 好きなことをやりましょう。一例を紹介します。実際に僕がやっていることです。
地味ですが(笑)、本当に充実した時間が過ごせます。何よりも重要なのが、「自分の意思で行動して、誰にも責められず、満足感を得ること」です。ソロ活では半端ない満足感が得られることをお約束します(^^)
ソロ活について
あなたは今、人の顔色ばかりを気にするクセがついてしまっています。そして、パワハラ上司やモンスターの事ばかりを気にする生活に疲れていることでしょう。だからこそ、ひとりで過ごす充実した時間をつくって、強い自分を取り戻す必要があるのです。人は本来、集団の中で生きる生物です。そんな中、あえてソロ活を行うのです。それは、悲しい決断と言えるでしょう。
ソロ活では、ひとりで決断・行動する経験によって自信がつきます。続けるうちに、人からどう思われているのかを気にしなくなっていきます。群れて悪口を言っている人間がどうでもよくなっていきます。何より、1人で決断して行動することの楽しさがわかるのが大きいです。
過去に、ソロ活について具体的に記事を書いております。よかったら読んでください(^^)
まとめ
この記事では、人の顔色ばかりを気にしてしまう原因と、その解決法について解説しました。
人間は、子どもの頃に「仲間はずれにされるかもしれない」という危機感を繰り返し経験すると、人の顔色ばかりを気にするようになってしまいます。子どもにとって、ひとりぼっちになるというのは地獄の苦しみです。たとえ周囲からの仕打ちが理不尽であっても、それを受け入れ、「自分が悪いことをしたんだ」という背負わなくていい謎の罪悪感を抱くのです。
謎の罪悪感は、大人になってからも悪影響を及ぼします。厄介な人間の不機嫌は自分のせいだと考えてしまい、そういった人間の機嫌をとることに疲れていってしまうのです。
そんな地獄の人生から脱出するために、僕は「ソロ活」をおすすめします。ひとりで過ごす充実した時間を経験することで、人の顔色ばかりを気にする自分から脱却することが可能です。ひとりで行動するソロ活には大きな不安が伴います。ですが、その不安を克服してソロ活を続けることで、大きな自信につながっていくはずです。
ここまで読んでくれたあなたは、自分を変えたいと思ってこの記事を読んでくれたのだと思います。ソロ活を行うことで、本当に人生がいい方向に変わります。もし時間があれば、今すぐにでもソロ活にトライしてみましょう。近所の公園に行って、すぐに帰ってくるだけでもいいです。満足感が得られるはずです。小さく始めていきましょう(^^)
少しずつですが、日常をより良く変えていきましょう!
日常をより良くするための考え方・生活習慣についての情報をTwitterでも発信しています。もしよかったらフォローしてください(^^) → Twitterリンク
コメント